
Presented by RSIMGS

私が今日まで20年以上もの間、写真撮影にのめり込んでいる全ての始まりが、この青色の電車です。「クモヤ143系電車」という国鉄時代から居た事業用車両です。
もともと電車好きだったので、図鑑的な本は子供の頃から読んで親しんでいて、大人が読むような専門誌も早々に買って読んでいました。秋葉原にある「書泉」という本屋さんによく叔父に連れて行ってもらって、そこで買ってきた本で鉄道写真もたくさん見ていて、色とりどりの色々な電車がとても美しく格好良く写されている誌面に釘付けになっていました。
でもその頃、まさか自分も線路際へカメラを持って出かけて、電車を写真に写し止める『撮り鉄』をするとは夢にも思っていなかったし、鉄道写真を見て興奮している割には、写真に撮れば好みの電車がいつでも手元で見られるという発想に至らなかったくらい、ある意味ぼーっとしている子供だったのかもしれません。
さて表題の写真は、2007年7月27日に撮ったもので、高校を卒業した年の夏です。久留里線の気動車を木更津駅まで回送する列車の牽引に、クモヤ143-13が従事している場面です。
自ら鉄道写真を撮り始めたのは2005年くらいからだったのですが、クモヤ143を写真でちゃんと写せたのはこの日が最初でした。写真撮影を始めたきっかけを語るにしては、2年も間が空いているのには理由がありました。
クモヤ143は鉄道車両に興味がない人でも見て分かると思いますが、乗客を乗せて日々運行しているような電車ではありません。牽引業務が発生した時にだけ走行機会があり、普段は車両基地の隅に停め置かれているような電車でした。
鉄道雑誌を夢中で読んでいたからこそ、以前からこの電車の存在は知っていて、どんな豪華なクルーズトレインや寝台列車、新幹線、カラフルな首都圏の通勤電車などを差し置いても、最も好みで興味があった電車でした。例えるなら、「世の女性はもちろん皆素敵だけど、僕は君と結婚したんだ。」というセリフを長年連れ添った老夫婦が語っている時の意味のような、鉄道は全部好きだけど言語化する事がナンセンスであろう感覚で、クモヤ143に興味があったのです。
写真の「クモヤ143-13」は幕張車両センターという千葉県の車両基地に配属されていたもので、車両基地に停まっている姿を毎日のように見ていた車両でした。
高校卒業後、千葉県に住んでいる私は新宿の学校まで毎日通っていた頃で、満員電車に押し込まれて、それはそれはストレスフルな移動時間でした。通勤ラッシュの「通」を「痛」と言う文字に置き換えたのを最初に考案した人は素晴らしいセンスだと思います。そんな満員の総武線が幕張駅を通過したあたりから、私は進行方向右側の窓に注目し始めるのです。クモヤ143-13を見たいがために、あらかじめ車両の右側で吊り革を握っていました。車両基地の隅の方、2両分くらいが停められる短い留置線に居た青色を一瞬だけ見られるそれが、「痛勤」のせめてもの癒しだったのです。
電車を写真に撮る活動を始めていても、クモヤ143がいつどこで走るのかなんて、時刻表にも載っていなければ売ってもいません。まして当時は今ほどインターネットの情報網が発達してもなく、Twitter(現X)が日本に進出してきたのですら翌2008年からでした。
さまざまな電車を撮り集めはじめた当初から、だいぶライブラリーも充実してきていて、それなのに最も推しのクモヤ143のシャッターチャンスが来ないままの2年間でした。
2007年7月27日に走るかもしれないというのを察知できたのは、当時よく一緒に鉄道趣味をしていた仲間からの目撃情報でした。25日に木更津から内房線をクモヤ143が久留里線を牽引して幕張方面に行ったことをメールで教えてくれたのです。
久留里線気動車が幕張へ行ったと言うことは、当然また木更津へ帰る日があるということで、つまり復路を狙えばクモヤ143の走行シーンを写真に収められると言うことになります。25日は水曜日で、復路は26日(木)かそれとも27日(金)か。土日にあるのはこの手の業務列車では考え難いので、この2日間に山を張ることにしました。批判覚悟で言いますと、両日とも学校はお休みしました。今振り返れば、当時の自分の判断をもっと褒めたくなります。あらゆる物事は見る側面であり、これも大事な社会科見学であり、そして思い出資産なのですから。
26日は幕張駅で待ってみていたのですが、来ませんでした。当時のネット環境でも、少しググれば過去の同じ行路から運転時刻がある程度分かり、11時代まで待ってみて来なかったらその日は無いと判断できました。
26日に無かったなら、消去法で最も確率が高いのが27日。ほぼ確信に近い気持ちで、絶対に寝坊などをやらかさないように心がけ、意気込んで当日家を出ました。

やっと会えたクモヤ143-13。やっと走っている姿を見れた日。
新検見川駅で撮ったファーストカットは、きっと撮り鉄趣味の方以外が見れば、ネット上にいくらでも転がっているような編成全体を画角にぴっちり収めた構図(この撮り方を編成写真と言います)だと感じられるかもしれません。でもこの編成写真は、自らの人生を一冊の本に例えるなら間違いなく見出しのひとつになる一枚。ずっと待っていたこのシャッターチャンスは、その後今日まで20年以上も続く写真撮影ライフにつながるページでした。
そして記事冒頭のカットは、昼過ぎくらいに袖ヶ浦の田園を走っているシーンです。この回送列車は、結構長い停車時間で後続列車の追い抜きを待つダイヤで、起点の幕張周辺から電車で先回りして数カット撮れるようなものでした。

姉ケ崎駅で停車中のクモヤ143も撮っていました。夢中で撮っていた私の様子から、好きさが滲み出てしまっていたのかもしれません。クモヤの運転士さんが車両から降りてきて、話しかけてくれました。「あと30分後くらいに発車だから、次どこで撮るの?」と。袖ヶ浦付近で撮るつもりだと伝え、このクモヤ143が大好きだと言うと「これもだいぶ老朽化してるから、いつまで走るか分からないからね。」と、色褪せ気味な青い車体を見て言っていた運転士さんの柔らかい眼差しが今でも脳裏に焼きつています。
袖ヶ浦の田園にはクモヤ143-13が通過する10分ほど前に到着し、カメラのセッティングを完了させました。記事冒頭のカットの撮影です。
鉄道写真は長めの焦点距離で写真を撮ることが多いので、シャッターボタンを押してから目の前を通り過ぎるまでに余裕があるものです。シャッターを切った後に手を振り、さっきの運転士さんがホーンを鳴らして返事をしてくれました。
こんな忘れられない、一つの記事にできるようなエピソードの一日が2007年7月27日の撮影でした。こうした特に記憶に残るような日があるから、私は今でも当時と変わらず同じように撮影活動を続けているのだと思います。
同じくカメラをやっている皆様も、きっとこんな話や、そもそも写真を撮り始めたきっかけや理由がそれぞれあるのでしょう。私は今では鉄道に限らず様々な被写体に向き合い始め、写真素材をお求めになってもらえることもある感謝の日々を過ごしています。だって私は写真撮影が好きで、その撮った写真が誰かの別のクリエイティブの役に立っているなんて、嬉しいに決まっています。
あの頃夢中で読んでいた鉄道雑誌で魅了された数々の記事と写真、その本の向こう側には常にその誌面を作っていたクリエイターが居ます。私はいつのまにかその向こう側で写真や映像、記事を届ける活動を行えていることに感謝しつつ、同時にまた何らか新しい表現を数々のコンテンツから学ばせてもらっています。